兆し

「まるでドラマのような人生だった」

時代は1997年、サッカー日本代表が初の本大会出場を果たし明るいニュースが世の中を包んでいた。これから大きく世の中が変わろうとしている最中、畜産業は一向に明るい兆しが見えない日々を送っていた。
『規模を拡大すれば所得が増える』そう信じていたのは、私だけではなかっただろう。しかし、私の人生はあの日の公演を境に大きく動き出す。

広大な草原

感謝

規模の拡大により所得が増えると信じていた頃、水田と牧草地、牛の数も増やすが市場価格に振り回され労働だけが増えていた。「あまりいいことねぇな」と思っていた頃、講演である言葉を耳にした。『六次産業化で所得は増大する』
その時はまるで、回りが止まって見えるほど衝撃を受けたのを今でも覚えている。
震える気持ちは治ることはなかった。帰宅し、家内へ相談をするも始めは反対を受けたが、最後は「やってみようかね」と賛成してくれた。嬉しかった。

田んぼ

動き始める

握手

早速、土地を探すがいきなり大きな壁にぶつかる事になった。許可がおりないのだ。現在『農家レストラン べべんこ』のある場所は、国立公園内にあり土地の形状変更を禁止されていた。しかし、牧草地への造成なら使用が認められるが思ったように事は進まないのが人生だろう。またしても大きな壁が立ち塞がる。以前の融資残が残っており、新たに資金を借りることが出来なかった。「ダメで、もともとだ。」
熊本の公庫支店に出向き、支店長へ想いを伝え頭を下げた。
最後は「鷲頭さんの想いに賭けましょう」と手を取ってくれたのを私は一生忘れることはないだろう。

完成…

無事に資金を借りることが出来たが、これらは土地の確保とレストラン建設の費用となった。埋立の費用はなく、自分でやることになった。地元の建設業者へ頭を下げて回り残土が出たら持ってきてもらった。仕事の合間を縫って夜中もブルドーザーで整地したのは、今でも深く記憶に刻まれている。法改正もあり、3年以上かけて7千立方メートルを埋め終えた。1年は牧草地として収穫を行い、ついに念願のレストラン開店にこぎつけるが、またも大きな壁にぶつかる事になった。
気付けばここまで、既に7年が経過していた…

べべんこ

続きはお店へ

ここまでお読み頂き有難う御座います。
実は、この後にも大きな波が3回続きます。もう壁やら波やら人生は思い通りにはいかないものですね。
■娘たちのストライキ■牛海線状脳症(BSE)発生■果樹生産
自分で言うのも何ですが、まだまだ見どころ満載です。
続きは、レストランにあります資料でご覧になって下さい。
そして、『農家レストラン べべんこ』にアナタだけの思い出を刻んで下さい。

メディア掲載